塩を食べると踊りたくなる人の考察
小さい頃から、「雛人形をしまうのが遅れると嫁にいき遅れる」と両親からきつく言われていた。今、わたしの目の前には親によって飾られた雛人形が置いてある。この小さい人形をしまい忘れるだけで嫁にいけないのは結構困るが、そもそも 「雛人形をしまうのが遅れると嫁にいき遅れる」とはどういうことだ。「塩を食べると踊りたくなる」くらい因果関係のない全くのデタラメではないか。
「雛人形をしまうのが遅れると嫁にいき遅れる」というのは、親から子へ向けた一種の脅しとして機能していることは認めておく。
「宿題やらないと晩ごはんは無しだからね!」
「片付けしないと外出禁止!」
などと同じ部類にあるのが、「雛人形をしまうのが遅れると嫁にいき遅れる」なのだと思っている。つまりここから考えると、子供に雛人形の片付けをさせるために、片付けをしなかった場合の「雛人形をしまうのが遅れると嫁にいき遅れる」というリスクを提示することによって、片付けなければいけないという義務感を発生させるというプロセスである。
「もう!いつになったら雛人形しまうの!こんなお片づけすら出来ない女の子なんて、良い男とは出会えないよ!」こういうことである。
このように一見因果関係のない教訓や言葉の陳列でも、よく考えると意味がわかることがある。前述した「塩を食べると踊りたくなる」にも以下のようなプロセスが含まれているかもしれない。
渋谷の街を、ピンヒールで歩く。いつもより丁寧に塗ったマスカラ、ナチュラルピンクの控えめジェルネイルに、プラダの香水を纏わせて今夜向かうのは、高校の同窓会。残業で集合時間には間に合わず、1時間ほど遅れてしまっている。
「普通、こういう同窓会って洒落たとこでやるもんじゃないの?」
「確かにそうだよね」
「まあ、でも幹事が決めたんだから仕方なくない?」
昨日、グループラインで友人らが愚痴を溢していた。開催場所が大衆的な居酒屋チェーン店だったからだ。
やっとのことで店に到着し、店内を見渡していると、遠くで自分の名前を呼ぶ声がした。
「うわあ〜、久しぶり〜!!」
「久しぶり!!」
「焼き鳥おいしいし、おつまみもそれなりだし、まあ、ここでも良かったかもね」
洒落たイタリアンやフレンチへの幻想は捨て切れなかったものの、大衆居酒屋の料理は程よく口に馴染み、まあまあな満足を生み出しているようだった。
「あ、すいません!ハツを塩で2本と…キムチください」
日本語がおぼつかない外人の店員に、丁寧にメニューを指差しながら注文する様子に、友人たちは笑った。
「そういうとこ、変わってないねえ!」
「えっ?」
「ほんと、昔から親切というか、人当たりがいいのよね〜」
「そ、そうかなあ…」
若干照れながら、雑談を交わしていると、先ほど注文した食事が運ばれてきた。
「ハツ…と、キムゥチです」
「ありがとうございます」
ハツを一口齧る。歯ごたえが良い。そして少し塩がキツイ。口内に広がるしょっぱさ。一粒一粒からじんわりと沁みていく。
「ちょっと、しょっぱい…」
少し眉間に皺を寄せながら呟いた。
「えっ、マジ?」
「ちょっと一口ちょうだい」
友人らが同じく齧る。
「う〜ん、そんなしょっぱいとは思わないけど…」
「うん、程よいかんじ」
わたしの味覚がおかしいのか、と少し凹んだ。
でも、そんなに食べられないほどではない。少し味が濃いだけで不味くはないし、自分が頼んだんだから食べなきゃ、と決心し、一口、また一口を進めていく…が。
しょっぱい。
すごくしょっぱい。
やっぱりダメだ。海水食べてるみたい…
そのしょっぱさは彼女に海水をも想起させてしまったようだった。そして、塩味の焼き鳥から海水を思い浮かべるなんて、と自分で自分に少し呆れる。
でも、海水なんて…海なんて、いつから行ってないんだろう。最後に海に行ったのは…高校の修学旅行だ。いろんなことしたっけ…としばし思い出に浸る。
「えぇ〜…わたしはいいよぉ、ダンスとか苦手だし…」
「そんなこと言わないでやってみようよお!せっかくの修学旅行の記念だよお!」
「えぇ〜…でもぉ…」
「ほらほらあ、恥ずかしがらないのっ!」
あのとき、友人に誘われ、引っ込み思案だった自分を変えようと勇気を出して参加してみたフラダンス体験が、なぜだか急に、懐かしくなった。
そして次の瞬間、いつもより少し大きな声で、彼女は言った。
「ねえ、ちょっとフラダンス踊らない?」